事例

牛の受精卵移植のリーディング企業はなぜ iPhone とローコード開発による内製化を選んだのか?

目次

  1. 技術者の業務の妨げになっていた煩雑な書類作成業務
  2. FileMaker 導入の決め手となった 5 つの条件と「iPhone」
  3. 正確なデータに基づいたコンサルティングで顧客の安心感が向上
  4. FileMaker を基盤としたエコシステムで日本の畜産業のプレゼンス向上を目指す

1. 技術者の業務の妨げになっていた煩雑な書類作成業務

宮城県仙台市と鹿児島県霧島市・出水市に拠点を置き、牛の受精卵の生産・移植を手掛ける株式会社ノースブル。乳牛に肉牛である黒毛和牛を産ませるという希少な受精卵移植技術で、数多くの酪農・畜産農家の事業を成功に導いてきた実績を持つ企業である。現在は、獣医師や培養士、移植師といった技術者が 12 名と事務系の担当者 4 名が在籍している。

牧場でホルモン剤投与作業を行うノースブルのスタッフ

2011 年の創業以来、順調に業績を伸ばしてきた同社だが、2018 年頃、ある事態に直面する。当時、4 名いた技術者の半数が退職してしまったのだ。

当時について、代表取締役の菅原 紀(もとい) 氏は次のように振り返る。

「その頃は、創業の地である宮城県で、牛の受精卵移植市場で 8 割のシェアを占めるようになっており、売上げも 1 億 5,000 万円を超えた時期でした。企業としてはまさに成長期。しかし、事業が順調だった反面、社内の業務量がキャパシティを超えてしまった。その結果、技術者の半数が退職してしまうという事態に陥ってしまったのです」

受精卵移植を行った業者には、受精卵移植証明書や DNA 鑑定書類など何百枚にもおよぶ書類を農家や行政に提出する義務が生じる。当時、4 名の技術者が月間 300 件ほどの受精卵移植を行っていたが、事業が成長するにつれ、これらの書類作成に忙殺されるようになった。せっかくの希少技術を持った技術者の仕事の半分が書類作成に費やされており、自らの能力を発揮すべき仕事に集中できないことに不満を感じて、退職してしまったのだという。

受精卵移植の様子

また、これらの書類の中には手書きの伝票が含まれており、それが別の問題も生じさせていた。受精卵移植は顧客である農家の元に出向いて処置し、伝票はその際に発行する。当時は現場で記入した紙の複写伝票の控えを事務所に持ち帰り、記載内容を経理担当者が手打ちでデータ化していた。現場での作業中に記入した字はどうしても乱雑になることもあり、転記の際の入力ミスが生じていただけでなく、全く同じ情報を複数の担当者が複数回記入または入力するという無駄も発生していた。

これらの問題を解決するため、 2020 年、社内にあったデータベースソフトウェアとタブレット端末を使って、書類の発行業務をデジタル化する仕組みを構築。しかし、この取り組みは失敗する。せっかく構築した仕組みが、現場で使われなかったのだ。

「業務が忙しく、新しいことに取り組む余裕がなかったし、タブレット端末を現場に持って行きたくなかった」と、自身も現場に出る菅原氏は振り返る。一方、同社 情報システム部 執行役員でこの仕組みを構築した阿部 慧太 氏は「使われなかったことに落胆するとともに、ほっとした気持ちもありました」と語る。

なぜならいったん運用が開始されると、メンテナンスが大変なことになるのは目に見えていたからである。

「当時のシステムは、タブレット端末ごとにファイルが用意されていました。農家は電波の届かない所も多く、オンラインになった際に、サーバー内のファイルと同期する仕組みでした。そのため、トラブル対応をするにしても、新たな機能を入れるにしても、端末ごとに全ファイルを修正する必要があったのです」(阿部氏)

そこで阿部氏は、より使い勝手がよく、メンテナンス性に優れた仕組みの構築を検討した。その時に出会ったのが、Claris FileMaker だった。

[左から]阿部 慧太 氏(株式会社ノースブル 情報システム部 執行役員)、菅原 紀 氏(株式会社ノースブル 代表取締役)

2. FileMaker 導入の決め手となった 5 つの条件と「iPhone」

阿部氏が新たなシステムを構築する上で、設定した条件は次の 5 つだ。

  1. メンテナンスが容易なこと
  2. 端末や OS を選ばずに使えること
  3. 印刷レイアウトが柔軟に変更できること
  4. 導入コストを抑えられること
  5. データベースとの接続が容易なこと

そして、候補に挙がった製品・サービスの中で、すべての条件を満たすのは、FileMaker だけだったという。

「FileMaker はクラウドで利用でき、何かあっても大元のプログラムを変更すればよいので、メンテナンス性は申し分ありません。なお、最後まで候補に残っていた製品は、FileMaker ともう 1 つありました。FileMaker を採用する決め手になったのは、印刷レイアウトが柔軟に変更できること。公的書類は紙での出力が必須です。提出先の様式に合わせたレイアウトが柔軟に組めることや、お客様の要望に応えるために提出書類をカスタマイズできる柔軟性は、妥協できない点だったのです」

そうして FileMaker を活用して完成したカスタム App は、事業所では PC で、事業所以外では従業員に支給されている iPhone SE からアクセスできるようにしている。

「以前構築したシステムが現場に根付かなかった要因の 1 つに、使用できる OS が限られていたため外出先からはタブレット端末を使わざるを得なかった点があります。作業現場ではどうしても邪魔になり、定着しませんでした。その点、現在はポケットに入るサイズの iPhone 上の Claris FileMaker Go から、社内の全データにアクセスできるので、快適に利用できています」と菅原氏は強調する。

牧場などの現場では、コンパクトな iPhone が重宝されている

阿部氏が開発したカスタム App の画面。iPhone でも見やすいように各項目をレイアウトしている

iPhone SE が選ばれたのは、コンパクトなサイズで持ち運びに優れることや、水やお湯を使う機会の多い現場での使用に耐え得る耐水性能があったことも大きな理由だ。また、コロナ禍で感染を心配する農家の方々に安心してもらえるよう、マスクを着用して作業していても、指紋認証でロック解除できる点も良かったという。従業員からは「使い勝手がよいのはもちろん、デザイン性に優れている iPhone が使えてうれしい」という声も上がっているという。

手のひらサイズの小さな画面でも使い勝手を損なわないように、表示項目は現場の要望を取り入れながら取捨選択されている。

3. 正確なデータに基づいたコンサルティングで顧客の安心感が向上

FileMaker 導入後は、書類作成業務の大幅な効率化を実現した。特に現場では、iPhone でデータベースの情報が参照でき、モバイルプリンタで即座に書類が発行できるようになったことを評価する声が大きい。もちろん、情報の入力は現場で完結するため、事務所に戻ってからデータを入力するなどの手間がなくなり、転記ミスもゼロになっていることは言うまでもない。

PC 表示のカスタム App 画面

また、受精卵を保管する際は、各受精卵を識別するための情報をラベルシールに出力して容器に貼っている。以前は使用した受精卵のラベルシールを複写伝票に貼って記録していたため、何かあった時に該当の伝票をさかのぼって探すのにかなりの時間を要していた。もともと受精卵はマイナス 196 度の液体窒素に入った状態から取り出しているので、複写伝票に貼ったシールは剥がれやすく、追跡に苦労した。現在は、ラベルシールの写真を撮って FileMaker のカスタム App に保存するようにしているため、探し出す時間も大幅に短縮し、追跡がより正確にできるようになった。また、何らかのトラブルがあった場合でも、正確なデータ管理をすることで、責任の所在を明確に主張できるようになったという。

菅原氏はその他にも FileMaker 導入のさまざまなメリットを実感していると語る。

「この仕組みを使っていると、自然に顧客情報や受精卵移植に関するデータが蓄積されていきます。そのデータがいつでも iPhone で参照できるのは大きなメリットですね。例えば、農家さんの元で『最近、受胎率が落ちている気がするんだよね』などの相談を受けた時は、その場で 1 年間の成績を昨年と比較してすぐに出せる。自分の感覚で判断しがちな農家さんは少なくないですが、私たちの方で正確なデータに基づいた適切なアドバイスができるので、顧客である農家さんの安心感にもつながっていると思います」

顧客は獣医師などの専門職にアドバイスをもらうことを望んでいるが、そのスタッフたちが正確な情報をもってコンサルティングすることは顧客の安心感につながると同時に、ノースブルとしてもミスリードを防ぐことができ、両者にメリットが大きい。

また、経営的なインパクトも大きい。

「阿部さんがこのシステムを作ってくれてから、誰も離職していません」と菅原氏。技術者が本来の業務に集中できる環境をシステム内製化によって整えることができたのだ。

また、2022 年に開設した霧島支店には、技術者のみが在籍しており、事務手続きは仙台にある本社で行っている。このような展開ができるのも、FileMaker で構築したカスタム App があるからこそ。現在、鹿児島に続いて、酪農家が数多く存在する北海道への進出を計画しているが、FileMaker による内製化の取り組みが、同社の全国展開を下支えしているといっても過言ではないだろう。

4. FileMaker を基盤としたエコシステムで日本の畜産業のプレゼンス向上を目指す

今後、FileMaker をデータ基盤としたエコシステムの構築も視野に入れていると菅原氏は語る。

「この業界には、かつての私たちのような問題を抱えている企業や組織が数多く存在しています。獣医師などのパートナーだけでなく、競合の他社など、幅広く使っていただくことも視野に入れています。その結果、データを集約できれば、当社としても研究開発に役立てることができます。そして、このシステムを使用して業務効率化などを実現する企業が増えれば、業界全体が活気づくでしょう。その結果、日本の酪農・畜産のプレゼンスが向上できればよいと考えています」

FileMaker を導入後、業務改善とデータを可視化を実現し、ビジネスの拡大を図るノースブル。日本の酪農・畜産業をドラスティックに変化させる可能性を秘める、同社の動向から目が離せない。

【編集後記】

「基本的に、システムの開発に関して、阿部さんと私はイーブンなポジション。例えば、私がこういうものを実装できないかと言っても、なんでも受け入れてくれるわけではありません。逆に、それがやりたいなら別の方法がよいでしょう、といった提案をしてくれるのです」

インタビュー中、菅原氏はシステム開発を担当する阿部氏との関係についてこのように話した。

依頼主の言うことをすべて受け入れた結果、システムの使い勝手が悪くなってしまうというのはよくある話だ。そのようなことが起こらないためにも実装する機能は慎重に検討すべきなのだが、委託先は顧客の言うことをうのみにしてしまいがち。そう考えると、コストや納期の問題だけでなく、社内で気を使うことなく意見を交換できる内製化のメリットは想像以上に大きいのではないだろうか。だからこそノーコード、ローコードで開発ができて、内製化が実現しやすい FileMaker を導入する価値は企業の成長にとっても大きくなるということだ。